1980年代後半に商業的なカテゴリーとして誕生した「ワールドミュージック」の定義と、その現代的な展開について簡潔かつ的確にまとめられています。しかし、私たちクラシック音楽の研究者や愛好家の視点からこの言葉を捉え直すと、そこには単なる「ポピュラー音楽のジャンル」には留まらない、数世紀にわたる西洋音楽と非西洋音楽の壮大な交流の歴史が浮かび上がってきます。
現代において「ワールドミュージック」と呼ばれる概念――すなわち、地域や民族の垣根を取り払い、異文化の語法を取り入れるという行為――は、実はクラシック音楽の歴史そのものを動かす強大なエンジンであり続けました。ここでは、商業用語として定着する遥か以前から存在した、クラシック音楽における「世界との対話」の歴史を紐解き、現代のワールドミュージック概念との接続点を詳らかにしていきたいと思います。
「異国趣味(エキゾチズム)」としての初期の遭遇
西洋の作曲家たちが、自分たちの文化圏外の音楽に興味を持ち、作品に取り入れ始めたのは決して新しいことではありません。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの音楽家たちは盛んに「異国」の響きを求めました。これを音楽史では**エキゾチズム(異国趣味)**と呼びます。
その最も著名な例が、モーツァルトやベートーヴェンの時代に流行した「トルコ行進曲」でしょう。当時、オスマン帝国の軍楽隊(メフテル)が奏でるシンバルや大太鼓のリズムは、ウィーンの聴衆にとって強烈な刺激であり、未知なる東方への憧れを掻き立てるものでした。しかし、彼らが書いた音楽は、実際のトルコ音楽の理論に基づいたものではなく、あくまで西洋音楽の語法の中で「トルコ風」の装飾を施した、いわば「空想上のワールドミュージック」でした。
19世紀に入ると、この傾向はさらに加速します。リムスキー=コルサコフの交響組曲『シェヘラザード』や、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』などは、中東や日本といった遠隔地の旋律や音階を模倣し、西洋のオーケストラ機能を使って極彩色の音絵巻を描き出しました。これらは現代の厳密な意味での民族音楽的アプローチとは異なりますが、異文化への強烈な好奇心が創作の原動力となっていた点において、現代のワールドミュージック・ムーブメントの精神的な先駆けと言えるでしょう。
国民楽派:アイデンティティとしての民族音楽
19世紀後半、ナショナリズムの高まりと共に登場した国民楽派の作曲家たちの活動は、ワールドミュージックの歴史において極めて重要な転換点となります。ドヴォルザーク、スメタナ、グリーグ、シベリウスといった作曲家たちは、ドイツ・オーストリア中心の音楽語法に対抗し、自国の民謡や舞曲のリズムを芸術音楽へと昇華させました。
彼らにとっての民族音楽は、単なる「異国情緒」のスパイスではなく、自らのアイデンティティそのものでした。例えば、ドヴォルザークがアメリカ滞在中に書いた弦楽四重奏曲『アメリカ』や交響曲『新世界より』では、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌の要素が取り入れられていますが、それは彼がボヘミアの民謡に見出した精神性と共鳴するものでした。 これは、現代のワールドミュージックが「ローカルな音楽をグローバルな文脈で提示する」という構造を持っていることと酷似しています。彼らは、自国のローカルな音楽を、交響曲や弦楽四重奏といった「世界共通語(当時の西洋における)」のフォーマットに乗せることで、世界へと発信したのです。
1889年パリ万国博覧会:構造的な変容への入り口
音楽史における「真の異文化接触」の瞬間として、1889年のパリ万国博覧会を避けて通ることはできません。この博覧会で、クロード・ドビュッシーをはじめとするフランスの作曲家たちは、ジャワ島のガムラン音楽に初めて触れ、衝撃を受けました。
それまでのエキゾチズムが、あくまで西洋の和声法の上に「異国風のメロディ」を乗せるだけだったのに対し、ガムランの響きは、西洋音楽が絶対視していた「機能和声」や「拍節構造」そのものを揺るがす力を持っていました。ドビュッシーは、ガムランの持つ循環的な時間感覚や、五音音階の響きを独自の語法として吸収し、それまでの西洋音楽のルールを解体していきました。 これは、単なる「引用」を超えた「融合」であり、現代のワールドミュージックやアンビエント・ミュージックにも通じる、音響そのものの快楽や空間性を重視する姿勢の萌芽でした。ここで初めて、非西洋音楽は「珍しい見世物」から「西洋音楽を革新するための鍵」へとその地位を変えたのです。
バルトークと民族音楽学の誕生
20世紀に入ると、民族音楽へのアプローチはより学術的かつ科学的なものへと進化します。ハンガリーの作曲家、ベラ・バルトークとコダーイ・ゾルターンは、蓄音機を背負って東欧の村々を歩き回り、農民の歌を直接採譜・録音しました。彼らは、都市部で流行していた「ロマ(ジプシー)風の俗謡」と、古層にある「真正な民謡」を明確に区別し、後者の持つ原始的な力強さや変拍子、複雑な旋法を作曲に取り入れました。
この態度は、後の民族音楽学(Ethnomusicology)の基礎となると同時に、現代のワールドミュージック・シーンにおいて重要視される「オーセンティシティ(真正性)」への問いかけとも重なります。バルトークの作品においては、もはや民謡は「美しく整えられた旋律」ではなく、不協和音を伴う野太いエネルギーとして提示されます。これは、1980年代以降のワールドミュージックが、洗練されたスタジオ録音だけでなく、現地の生の音やフィールド・レコーディングを重視するようになった流れと精神的に直結しています。
現代音楽における境界の消滅と「普遍性」への回帰
20世紀後半から21世紀にかけて、クラシック音楽(現代音楽)とワールドミュージックの境界線は、かつてないほど曖昧に、そして創造的に溶解しています。
武満徹と「ノヴェンバー・ステップス」
日本人作曲家として世界的な名声を得た武満徹は、西洋のオーケストラと日本の伝統楽器(琵琶・尺八)を対峙させた『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)において、安易な融合を拒否しました。彼は、琵琶や尺八の持つ「さわり」や雑音成分を含んだ音響を、西洋の平均律と無理に混ぜ合わせるのではなく、互いの差異を際立たせることによって、逆説的に普遍的な音空間を創出しました。 これは、ワールドミュージックが陥りがちな「安易なミックス」や「文化の盗用」という批判に対する、一つの深遠な回答でもあります。異なる文化は、完全に溶け合わなくとも、互いに緊張関係を保ったまま共存し、新しい美を生むことができるということを、武満の音楽は教えてくれます。
ミニマル・ミュージックと非西洋のリズム
スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといったアメリカのミニマル・ミュージックの巨匠たちもまた、非西洋音楽から決定的な影響を受けています。ライヒはガーナでアフリカのドラムを、グラスはラヴィ・シャンカルからインド音楽のリズム理論を学びました。彼らの音楽に見られる反復とズレの構造は、西洋の伝統的な展開形式よりも、アジアやアフリカの音楽が持つトランス的な時間感覚に近いものです。 彼らの音楽が、クラシックのコンサートホールだけでなく、テクノやアンビエント、そして広義のワールドミュージックのリスナーにも熱狂的に支持されている事実は、ジャンルの区分けがいかに無意味なものになりつつあるかを証明しています。
シルクロード・プロジェクトと未来への展望
チェリストのヨーヨー・マが提唱した「シルクロード・プロジェクト」は、かつての交易路に存在した国々の音楽家たちとクラシックの演奏家が共演し、新たな伝統を創造しようとする試みです。ここでは、「西洋 vs 東洋」や「クラシック vs 民族音楽」という二項対立は完全に乗り越えられています。 参加する音楽家たちは、それぞれの伝統楽器(馬頭琴、笙、タブラなど)の名手でありながら、互いの音楽言語を理解し、即興的に対話を行います。これこそが、1987年にロンドンの会議室で「ワールドミュージック」という言葉が作られたときに夢見られた、理想的な形の一つと言えるかもしれません。
クラシック音楽もまた、一つの「ワールドミュージック」である
こうして歴史を振り返ると、私たちは一つの結論に達します。それは、「クラシック音楽(西洋芸術音楽)もまた、ヨーロッパという特定の地域で生まれ、長い時間をかけて体系化された、一つの巨大な民族音楽(ワールドミュージック)である」という事実です。
かつて西洋音楽は「普遍的な音楽」であり、それ以外は「民族的な音楽」であるという無意識のヒエラルキーが存在しました。しかし、グローバル化が進んだ現代において、バッハやベートーヴェンもまた、ドイツ語圏の文化土壌から生まれたローカルな音楽が、その質の高さゆえに普遍性を獲得した例として捉え直すことができます。
現在、世界中のコンサートホールでは、タン・ドゥン(中国)が紙や水の音をオーケストラに取り入れ、オスバルド・ゴリホフ(アルゼンチン)が南米の情熱とユダヤの伝統を融合させています。「ワールドミュージック」という言葉は、もはや「非西洋の音楽」を指すだけのラベルではありません。それは、私たちが住むこの世界の多様な響きを、等しく価値あるものとして祝福し、その交差点から新しい芸術を創造しようとする、すべての音楽的態度の総称なのです。
音楽用語としての「ワールドミュージック」を学ぶことは、未知の文化への扉を開くと同時に、私たちが普段親しんでいるクラシック音楽やポップスが、実は世界中の無数の「音の旅」の果てに生まれてきたものであることを再発見するきっかけとなるでしょう。
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